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香港紙で唯一、中国共産党を真っ向から批判してきた蘋果日報(アップルデイリー)が6月23日、休刊に追い込まれた。中国・香港当局による、すさまじい言論弾圧である。香港の「報道の自由」は完全に失われた。
1960年、中国大陸から香港へ、12歳の少年が密航した。後に蘋果日報を創業する黎智英(ジミー・ライ)氏(72)だ。
中国広東省広州生まれ。父は海運業で財を成したが、49年の共産中国の建国以降、裕福な暮らしは暗転する。資産家は目の敵にされ、一家は離散。貧しくて苦しい子供時代を過ごした。
チョコレートを腹いっぱい食べたくて共産中国を捨て、目指したのが自由と富の象徴、香港だった。これが蘋果日報の原点だ。
昨年6月のインタビューで、こう語っている。「香港は、公平で自由な社会。私には天国のような場所だった」と。
財を成した黎氏はその〝天国〟を守るべく、95年に蘋果日報を創刊。中国共産党に批判的な報道を続けた。「自由と民主を支持する香港人のために声を上げていこう」が信条となった。
昨年、創刊25周年の特別誌を発行した。タイトルは「これが最終章ではない」。当局の圧力が強まる中、創刊30周年も祝ってみせるという決意が込められていた。
羅偉光・総編集(編集局長)(47)に初めて会ったのは昨年6月、香港国家安全維持法(国安法)が施行される直前である。
羅氏は、①中国本土の取材ビザがなかなか出ない②蘋果日報記者だけ高官の取材の際に排除される-など当局の嫌がらせに悩まされている、とこぼした。噴き出しそうになった。「産経新聞も同じですよ」。2人で苦笑した。
国安法施行翌日の昨年7月1日、蘋果日報1面の見出しは「悪法が発効、一国二制度は死を迎えた」だった。同じ日、産経新聞が「香港は死んだ」という見出しの記事を掲載すると、羅氏はそれを蘋果日報で取り上げた。
「ありがとう。でも、気を付けて…」。こんなメールが同紙の40代編集者から届いた。羅氏も黎氏も、その身は今や獄中にある。
私たちは、蘋果日報の発行停止を「廃刊」ではなく、「休刊」と表現する。暗黒の時代が明け、香港がよみがえる日、それを市民に宣言する香港紙は、蘋果日報をおいて他にないと考えるからだ。
リンゴは落ちた。しかし、「最終章」ではないと信じている。
筆者:藤本欣也(産経新聞)